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2002.04.21

1月 小春日和の告別式。

 公演に向けて歌の稽古をしていたときのこと。携帯が鳴った。
電話は札幌にいる連れ合いからだった。内容を聞くより先に、声色でわかった。
昨年末から入院していたおじいちゃんが亡くなった。
 稽古の都合がつかずお通夜には間に合わなかった。翌日告別式に早朝から車を走らせた。1月とは思えないほどの小春日和。久しぶりに会う親戚たちとおじいちゃんの棺を囲んだ。
 青森県弘前市出身、樺太で教職につき、末期の戦争に徴兵され、シベリアに抑留された。5年後に北海道で暮らす家族と再会し、わたしの母をふくむ4人の子どもを育てた。校長を退職した後は書道塾を開いた。書道8段、剣道5段、居合いもしていたし、随筆、歌集を発行し、70歳ぐらいの頃には水泳教室にも通っていた。
 北海道で生まれた孫たちの中では、わたしが一番年長で、初孫のようにかわいがってくれた。名前をつけてくれた。弟が生まれるときにはここにあずけられて、習字道具や竹刀で遊んだ。そんな様子をおさめた16ミリフィルムの記録映画も撮ってくれた。いつか結婚式をあげたときに、これを上映しようかと笑っていた。
 わたしが大人になって劇団に入ったことを報告すると、「脚本はいつ書くんだい」と言われた。シベリア抑留時代に演劇の脚本を書き、慰問の公演をしていたことを、そのとき初めて聞いた。
 おじいちゃんが肺炎で入院したとき、わたしはたまたま近くの町に仕事の用ができた。病院に寄ったとき、あまりにもやせた姿に驚いた。近年は寝たきりでわたしのこともわからなくなっていたけれど、そのときは声をかけたらうなずいてくれた。不思議なめぐりあわせだった。あまり仕事でこちらの方に来ることはないのに。
 告別式は落ち着いた雰囲気だった。みんな覚悟していたのかもしれない。みんながお見舞いにきて、いとこの結婚式も終わった後で、おじいちゃんはあちらに旅立っていった。おじいちゃんは自分で字を書いたお墓に入る。享年88歳だった。

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