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2002年4月

2002.04.21

3月 ソロ。

 小さな創造の公演もぽちぽちと入るようになり。ついにわたしもソロで一曲歌うことになった。子どものころに育った日高の線路を歌った歌を自己紹介にそえて歌う。お客さんも緊張しきったわたしに、あたたかく声をかけてくれる。27歳にして新人。初々しさがあると言われるうちにもっとのびのび歌えるようになりたい。

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2月 自宅からの仕事。

 仕事へは自宅から通うようになりました。担当は小樽。観光都市ですな。歩いていると、つくづく遊びできたかったと思うことしきり。
 平日は札幌から小樽に通い、週末は北空知の事務所に行って会議や歌の稽古。創り上げていく時期なのだから仕方がないのだけど、とにかく息つく間もなくといった毎日。

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初整体。

 新年会で花笠音頭を急にやったら、次の日、腰に痛みが走った。年ですかね。いや、身体の鍛え方が足りないんでしょう。
 というわけで、初めて整体の治療院に行きました。年輩の先生は少林寺拳法を子どもたちに教えているそうです。その腕で力をこめてぎゅうぎゅうと体中を押される。腰もさることながら、腰の下の方がものすごく痛い。
「ここで負担を止めて、止めきれないのが腰にいくんだよ。だからここをゆるめないとね」
あまりの痛みに思わず笑ってしまう。なんだか真面目に苦しむのが気恥ずかしいからなんだけど、おかしなものです。すごく痛くて、だから笑える。
 もう良くなりましたが、今後のために腹筋と背筋は鍛えないといけないようです。

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まるで芸人のように。

 音楽鑑賞団体の交流会、町内会の新年会、お寺の檀家さんの集い………と、あちこちに出かけていって、歌と語りなどのレパートリーを演じる。こういうことは初めてで、毎回新鮮な発見がある。というと聞こえはいいが、とにかく反省材料が山積み。わたしは舞台に立った経験がほとんどないので、1から先輩に教わりながらやっているわけで。本番の様子をビデオで見返すと、悶絶するぐらい恥ずかしい。緊張した棒が立っているようで。
 スタッフとして舞台は経験を重ねているので、どういうことが求められているかはわかるのに、自分がやろうとするとさっぱりできていない。うわ。
 こういう場数を踏んでいるうちに成長していけますように。そう願いつつ今日も稽古に励みます。

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1月 小春日和の告別式。

 公演に向けて歌の稽古をしていたときのこと。携帯が鳴った。
電話は札幌にいる連れ合いからだった。内容を聞くより先に、声色でわかった。
昨年末から入院していたおじいちゃんが亡くなった。
 稽古の都合がつかずお通夜には間に合わなかった。翌日告別式に早朝から車を走らせた。1月とは思えないほどの小春日和。久しぶりに会う親戚たちとおじいちゃんの棺を囲んだ。
 青森県弘前市出身、樺太で教職につき、末期の戦争に徴兵され、シベリアに抑留された。5年後に北海道で暮らす家族と再会し、わたしの母をふくむ4人の子どもを育てた。校長を退職した後は書道塾を開いた。書道8段、剣道5段、居合いもしていたし、随筆、歌集を発行し、70歳ぐらいの頃には水泳教室にも通っていた。
 北海道で生まれた孫たちの中では、わたしが一番年長で、初孫のようにかわいがってくれた。名前をつけてくれた。弟が生まれるときにはここにあずけられて、習字道具や竹刀で遊んだ。そんな様子をおさめた16ミリフィルムの記録映画も撮ってくれた。いつか結婚式をあげたときに、これを上映しようかと笑っていた。
 わたしが大人になって劇団に入ったことを報告すると、「脚本はいつ書くんだい」と言われた。シベリア抑留時代に演劇の脚本を書き、慰問の公演をしていたことを、そのとき初めて聞いた。
 おじいちゃんが肺炎で入院したとき、わたしはたまたま近くの町に仕事の用ができた。病院に寄ったとき、あまりにもやせた姿に驚いた。近年は寝たきりでわたしのこともわからなくなっていたけれど、そのときは声をかけたらうなずいてくれた。不思議なめぐりあわせだった。あまり仕事でこちらの方に来ることはないのに。
 告別式は落ち着いた雰囲気だった。みんな覚悟していたのかもしれない。みんながお見舞いにきて、いとこの結婚式も終わった後で、おじいちゃんはあちらに旅立っていった。おじいちゃんは自分で字を書いたお墓に入る。享年88歳だった。

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