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2011.03.20

2011.03.11 その日は。

あの震災から1週間が過ぎた。圧倒的な映像・情報の波に、飲み込まれ、抗って、浮いたり沈んだりを繰り返してもがくような1週間だった。

まずは、東北地方太平洋沖地震において、被災され亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り致します。
そして、被災された方々、ご家族、ご親族、ご友人の方々が、1日も早く、1人でも多く、心安らかな暮らしができますように。
特定の神様を持たないけれど、とても明るい今夜の満月に祈ります。

あの日あの時間、わたしは職場から帰宅する直前だった。
息子が火曜日から熱を出してしまい、3日間わたしも仕事を休んで付き添い、病院と往復していた。
熱はあるが、他の症状は何もなく、機嫌もよかった。
金曜になり熱が下がったけれど、まだ集団保育の場に預けるにはためらわれた。
しかし、職場も人手不足、何もせずに休み続けていては、いつ契約更新も危うくなるか知れないパートの身、自分の稼ぎより2倍近い出費もやむなし、と初めて病児・病後児預かりのサポートスタッフさんに来てもらって、自宅保育をお願いしていた。
初めて会う人に息子と自宅を任せるのは、ちょっと度胸がいる。
朝、サポートスタッフの女性に手渡した瞬間に大泣きした息子、ちゃんとその後は機嫌を直してくれただろうか?
普段なら夕方に帰宅するところを、時短シフトで切り上げて、大急ぎでの帰り道。
自宅の近くにあるビルから、たくさんの会社員が出てきて、周りを見渡していた。
なんだろう?と立ち止まって、揺れに気がついた。
走って帰ると、サポートスタッフさんが寝室で息子をかばっていた。息子は大の字で寝ていた。
「いやー、長く揺れましたね。息子さん、抱えて逃げようか考えてました」
と話すスタッフさんにお礼を述べ、息子の様子を聞き(泣いた後は機嫌回復して遊んでもらって、食事もして、昼寝もちゃんとしたそうだ)、お見送りをして、テレビを付けた。
そこで、初めて重大な震災が起こったことを知ったのだった。

父が東京へ行っていた。母の話しでは、地震後、連絡がまったくとれないらしい。携帯は不通、宿泊するホテルの情報も、今は携帯があるからちゃんと置いていっていなかった。
持病があるのでどこかで倒れてやしないかと心配しつつ一夜が過ぎ、翌日にやっと父から連絡があったと母から聞き安堵した。
父は参加予定の会議がキャンセルになり、羽田空港のカウンターに2時間半並び、それでもさいわい空席がとれ、震災翌日中には無事帰宅した。

やしちの実家は青森県なので、もっと震源地に近い。
こちらもまったく電話が通じず、翌日の午後にようやく停電から回復し、連絡がとれた。
義父母も無事だが、今も計画停電やガソリンの品薄などで、生活に影響がある状況が聞こえてくる。

この3連休中には日帰りで東京へ行き、2年近くぶりに劇団の仲間たちと会い、総会に参加する予定だった。
それも延期になり、いまこうしてブログを書いている。

わたしには、直接の知人で震災による行方不明・死者数の中に入っている人はいない。
それでも、毎日考える、願う、迷う。
これから、どうしていけばよいのだろう。なにができるのだろう。どう変わればよいのだろう。そのためになにができるだろう。
日常のあれやこれやを何とかこなしつつ、息子の笑顔を見ながら思う。
この笑顔を、何も知らないから無邪気にしていられる笑顔、なんてものにはしたくないのだよ。

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