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2011年3月

2011.03.24

1歳4ヵ月、お散歩日和。

東日本大震災の胸が苦しくなるような被災地の様子や、どうにも気持ち悪い感が増すばかりの原発関連ニュースが連日続く。
目をそむけるわけではないけれど、自分がどうにかできること以上の情報は、浴び続けると放射線以上に心身によくなさそう。
いったんテレビもPCも切って、歩き出した息子の手を取って外に出れば、やっと雪解けし始めた春の風景。
今日から1歳4ヵ月の息子、まだ危なっかしいながらも、平らな道なら手放しでもトコトコ歩いて行けるようになった。
初めてスーパーの子ども用ショッピングカートを押させてみると、ぐるっと一周して買い物をする間、ずっと意気揚々とカートを押し歩いていた。
もうちょっとしたら、いつもいっしょではなく、自分で勝手にお菓子売り場へ行ったりして、買って買ってと駄々をこねたり、迷子になったりするようになるんだろうなぁ。

帰宅してみれば、またニュースからは東京で乳児に水道水を与えないように、という暗澹たる気分になる情報が流れてきた。
いつになれば、小さい子を持つ親や、これから産まれる子を大事にお腹に宿している親が安心できるようになるのだろう。
もちろん、被災の規模が大きい地域の乳幼児、妊婦さんはもっと過酷な環境の中に、今もいるわけで。
それは、1日先の自分の姿かも知れない。
今はとにかく被災地に支援が行き渡り、原発も沈静化してくれる日が1日でも早く来ることを祈るばかり。

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2011.03.20

2011.03.11 その日は。

あの震災から1週間が過ぎた。圧倒的な映像・情報の波に、飲み込まれ、抗って、浮いたり沈んだりを繰り返してもがくような1週間だった。

まずは、東北地方太平洋沖地震において、被災され亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り致します。
そして、被災された方々、ご家族、ご親族、ご友人の方々が、1日も早く、1人でも多く、心安らかな暮らしができますように。
特定の神様を持たないけれど、とても明るい今夜の満月に祈ります。

あの日あの時間、わたしは職場から帰宅する直前だった。
息子が火曜日から熱を出してしまい、3日間わたしも仕事を休んで付き添い、病院と往復していた。
熱はあるが、他の症状は何もなく、機嫌もよかった。
金曜になり熱が下がったけれど、まだ集団保育の場に預けるにはためらわれた。
しかし、職場も人手不足、何もせずに休み続けていては、いつ契約更新も危うくなるか知れないパートの身、自分の稼ぎより2倍近い出費もやむなし、と初めて病児・病後児預かりのサポートスタッフさんに来てもらって、自宅保育をお願いしていた。
初めて会う人に息子と自宅を任せるのは、ちょっと度胸がいる。
朝、サポートスタッフの女性に手渡した瞬間に大泣きした息子、ちゃんとその後は機嫌を直してくれただろうか?
普段なら夕方に帰宅するところを、時短シフトで切り上げて、大急ぎでの帰り道。
自宅の近くにあるビルから、たくさんの会社員が出てきて、周りを見渡していた。
なんだろう?と立ち止まって、揺れに気がついた。
走って帰ると、サポートスタッフさんが寝室で息子をかばっていた。息子は大の字で寝ていた。
「いやー、長く揺れましたね。息子さん、抱えて逃げようか考えてました」
と話すスタッフさんにお礼を述べ、息子の様子を聞き(泣いた後は機嫌回復して遊んでもらって、食事もして、昼寝もちゃんとしたそうだ)、お見送りをして、テレビを付けた。
そこで、初めて重大な震災が起こったことを知ったのだった。

父が東京へ行っていた。母の話しでは、地震後、連絡がまったくとれないらしい。携帯は不通、宿泊するホテルの情報も、今は携帯があるからちゃんと置いていっていなかった。
持病があるのでどこかで倒れてやしないかと心配しつつ一夜が過ぎ、翌日にやっと父から連絡があったと母から聞き安堵した。
父は参加予定の会議がキャンセルになり、羽田空港のカウンターに2時間半並び、それでもさいわい空席がとれ、震災翌日中には無事帰宅した。

やしちの実家は青森県なので、もっと震源地に近い。
こちらもまったく電話が通じず、翌日の午後にようやく停電から回復し、連絡がとれた。
義父母も無事だが、今も計画停電やガソリンの品薄などで、生活に影響がある状況が聞こえてくる。

この3連休中には日帰りで東京へ行き、2年近くぶりに劇団の仲間たちと会い、総会に参加する予定だった。
それも延期になり、いまこうしてブログを書いている。

わたしには、直接の知人で震災による行方不明・死者数の中に入っている人はいない。
それでも、毎日考える、願う、迷う。
これから、どうしていけばよいのだろう。なにができるのだろう。どう変わればよいのだろう。そのためになにができるだろう。
日常のあれやこれやを何とかこなしつつ、息子の笑顔を見ながら思う。
この笑顔を、何も知らないから無邪気にしていられる笑顔、なんてものにはしたくないのだよ。

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2011.03.06

膝の上でじっとじっと。

昨年末に地元の親子で舞台を見る団体に入会した。
いや、詳しく言うと、舞台を見ること、その為の準備を通じて親と子どもたちがつながり合うこと、を目的とした全国組織の地元版。子どもがも大学生になっているというお母さんから、わたしのように初の子育て2年生という新米オカンまで様々な親子が集まっている。
で、雪祭りに行ったり、事務所で食事会をしたり、当日までの準備をしたり、という機会に休日の何割かを参加にあてて、今日が初めての観劇参加。
会場が市街地中心部だったので、参加者で待ち合わせて5~6組くらいか、地下鉄に乗っていく。
わたしはスリングで息子を抱いて、他のお母さんも抱っこやおんぶ、さらにベビーカー組も有り。
日曜とは言えさすがにこのママ集団は目立つ。好意的な視線もあれば、邪魔そうな視線もある。被害妄想気味かもしれないけれど、自分も出産前はママ軍団がちょっと怖かったクチなので、そんな風に受け取った。

会場着いたら、流れを確認する打ち合わせをして、子どもにおにぎりなど食べさせて、オムツを替えてから客席へ。
平戸間の研修室で、俳優1人、スタッフ無し、1時間弱の小さな作品。0~2歳児の親子の客席にはこれくらいがちょうど良いみたいで、その1時間に満たない中でもいくつかのパートに分かれている。たしかに教育テレビの幼児向け番組も低年齢向けになるほど1パートが短い。
ご飯を食べた後、しかも普段なら昼寝の時間帯とあって、始まる前は眠くてグズグズだった息子、客席最前列でわたしの膝の上に乗りながら、舞台が始まるとじーっと見入っていた。
途中、何度かわたしを振り返ったり、ちょっとふにゃふにゃしそうになったりもしたけれど、またぐっと舞台の雰囲気に引き戻されて、結局最後まで泣きも寝もしないで見ていた。

そうそう、君はわたしのお腹の中で卵だった頃には、もっと長い舞台を見て、作るところから参加していたんだよ。
いつか、ハハが音を出す舞台を見ることがあるだろうかね。


帰りは資格試験が終わったやしちと合流。
こちらも先月の筆記と今日の実技が終わってホッとした模様だ。
これからまた、今度は地元地域での公演の実行委員会に関わっている。
自分が所属している劇団の総会に今年は参加するので日帰り東京行きと、またそれに向けての準備もある。
先月参加した整理収納セミナーの続きの動きもある。
なんだかんだとせわしい3月、基本コマンドは「ガンガンいこうぜ」なのか。やっぱりやりたいことはやってみてから少しずつ体力と相談して調整していこう。
4月は息子が進級して環境が変わる。ちょっと動きを止めて見守りたいので、来月は「ウチをだいじに」かな。

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